巌流島を訪れる多くの人が、実はこの島の正式名称を知りません。地図や住所表記に使われているのは「船島(ふなしま)」という名前ですが、私たちが日常的に耳にするのは「巌流島」という呼び名です。今回は、下関市山の田の弘々家が、この名前の由来に込められた地元の想いをご紹介します。
正式名称は「船島」
巌流島の正式な地名は、下関市彦島字船島。行政上の住所表記や地図には、今もこの「船島」という名前が使われています。しかし、観光ガイドやニュース、日常会話の中でこの名前を耳にすることはほとんどありません。多くの人にとって、この島は「巌流島」という呼び名のほうがずっと馴染み深いものになっています。
敗者の流派が島の名になった理由
「巌流島」という呼び名の由来は、この島で行われたとされる決闘に関係しています。決闘に敗れたのは、剣術家の佐々木小次郎でした。小次郎が名乗っていた流派の名前が「巌流」です。地元の人々は、命を落としたと伝わる小次郎を偲び、彼の流派の名をとって、この島を「巌流島」と呼ぶようになったと伝えられています。
注目したいのは、勝者である宮本武蔵の名前ではなく、あえて敗れた小次郎にゆかりのある名前が、島の呼び名として選ばれ、定着していったという点です。ここには、敗れた者への敬意や弔いの気持ちが込められていたのではないかと言われています。
400年以上受け継がれてきた呼び名
慶長17年(1612)の決闘から、すでに400年以上の歳月が経っています。それでもなお「巌流島」という呼び名が正式名称の「船島」よりも広く定着し、全国的に知られる名前として使われ続けていることは、地元の人々がこの想いを大切に受け継いできた証しと言えるでしょう。
観光地としての巌流島には、決闘の物語を伝えるさまざまなモニュメントが整備されていますが、「巌流島」という呼び名そのものもまた、地元に息づく歴史の記憶のひとつなのです。
名前から読み解く決闘の物語
この呼び名の由来を知ってから決闘の物語を振り返ると、また違った見え方をするかもしれません。勝者ではなく敗者の名を島に残すという選択には、単なる勝ち負けを超えた、人間味のある物語への共感があったのではないでしょうか。武蔵の圧倒的な強さを称える物語であると同時に、敗れた小次郎への哀惜の念もまた、この島の名前を通じて今に伝えられているのです。
島を訪れる際に
巌流島を訪れる際は、ぜひこの名前の由来を思い出しながら島内を歩いてみてください。決闘の砂浜を再現した人工海浜や、対峙する「武蔵・小次郎像」を眺めながら、勝者と敗者、それぞれの物語に思いを馳せる時間は、単なる史跡巡り以上の味わいを与えてくれるはずです。
アクセス情報
巌流島へは、下関の唐戸桟橋から連絡船でおよそ10分。唐戸市場のすぐそばから出航するため、下関観光のプランに組み込みやすい立地です。JR下関駅からはバスでおよそ7分、「唐戸」バス停で下車すればすぐの距離です。
巌流島散策のあとは、山の田の弘々家へ。地元で32年愛され続けてきたパリパリ麺の広島お好み焼きで、旅の締めくくりをどうぞ。
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