下関を訪れる観光客の多くが立ち寄る唐戸市場。活気ある屋台や新鮮な魚介に目を奪われがちだが、この場所が今の姿にたどり着くまでには、100年以上にわたる長い歴史が積み重ねられてきた。もともとは海だった場所が埋め立てられ、幾度もの変遷を経て今の賑わいに至るまでの物語を、じっくりとたどってみたい。
すべては埋立地から始まった
唐戸周辺は、古代から交通の要として栄えてきた土地だった。明治に入ると海外貿易の拠点として大きく発展し、各国の領事館や外国商社の代理店、銀行などが軒を連ねる国際色豊かな街並みが形成されていった。
しかし、現在の唐戸町という土地そのものは、もともと自然にあったものではない。1894年から1896年(明治27〜29年)にかけて、港湾機能の強化を目的として行われた唐戸湾(田中川河口)の埋立て工事によって生まれた、比較的新しい土地なのだ。今、多くの観光客で賑わうこの場所が、130年ほど前にはまだ海の底だったと考えると、不思議な感慚を覚える。
市場としての第一歩
人が集まる場所には自然と物が集まってくる。1909年(明治42年)には唐戸の路上での野菜・果物の販売が公許され、市場としての営みが始まった。そして1924年(大正13年)、阿弥陀寺町から魚市場が移転し、「唐戸魚市場」が正式に発足する。これが今の唐戸市場の直接的なルーツだ。
1933年(昭和8年)には、現在の唐戸市場の基となる「魚菜市場」が開場。魚だけでなく野菜も扱う市場として、地域の食生活を支える存在へと成長していった。
戦後から高度経済成長期へ
1976年(昭和51年)には食料品小売センターが開業し、より多様な食材を取り扱う「総合食料品センター」としての機能が強化された。1979年(昭和54年)には、地元の生産者を中心とした唐戸朝市がスタートし、生産者と消費者が直接顔を合わせる場としての役割も担うようになる。
その後も下関市による唐戸地区の整備事業は続き、1986年(昭和61年)にはカラトピア、1992年(平成4年)にはカラトコアが完成。1994年(平成6年)には市営赤間駐車場が整備され、1995年(平成7年)4月からは「唐戸市場朝市」が本格的に始まった。この時期、唐戸エリアは着実に観光地としての基盤を固めていったといえる。
建て替えと発祥100周年
昭和30年代後半から経済活動と流通の近代化が進む中で、敷地の狭さや施設の老朽化、交通事情の悪化といった課題が浮き彫りになっていった。これらの問題を解決するため、新市場の建て替えが行われ、2001年(平成13年)4月、現在の唐戸市場が新築移転という形で誕生した。
そして2009年(平成21年)、唐戸市場は発祥100周年という大きな節目を迎える。この年を境に、海響館やカモンワーフとともに下関を代表する観光地としての賑わいを、より一層強めていくことになった。
歴史を知って歩くと見え方が変わる
普段何気なく歩いている市場の通路も、その一歩一歩に100年以上の歴史が積み重なっていると思うと、見え方が変わってくる。明治の埋立地から始まり、幾度もの整備と建て替えを経て今の姿にたどり着いた唐戸市場。そこには、下関という街が海とともに生き、変化を続けてきた軌跡が刻まれている。
歴史の続く街で味わう、もうひとつの物語
下関には、唐戸市場と同じように長い年月をかけて築かれてきた場所が他にもある。山の田エリアで1993年から営業を続ける広島お好み焼き 弘々家(こうこうや)もそのひとつだ。7,000回にわたる試行錯誤の末に完成させたパリパリ麺のお好み焼きは、地元の人々に育てられながら30年以上の歴史を重ねてきた。唐戸市場で下関の古い歴史に触れた後は、この地で紡がれてきたもうひとつの物語にも、ぜひ触れてみてほしい。
まとめ
唐戸市場が今の姿になるまでには、埋立て、市場の発足、幾度もの整備、そして建て替えという長い道のりがあった。賑やかな屋台の向こうにある100年以上の歴史を知れば、いつもの市場散策がまた違った味わいを持つはずだ。
関連情報
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※歴史ある唐戸観光の締めくくりに、山の田エリアの弘々家(こうこうや)へ。ご予約はお電話またはLINE公式アカウントから承っております。

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