唐戸市場の「馬関」って何?知れば下関がもっと好きになる豆知識

唐戸市場を訪れたことがある人なら、一度は「活きいき馬関街(いきいきばかんがい)」という名前を目にしたことがあるはずだ。週末や祝日に開催されるこの屋台イベントは、唐戸市場を代表する名物のひとつとして知られている。しかし、この「馬関」という言葉の由来まで知っている人は意外と少ないのではないだろうか。実はこの二文字には、下関という街の古い歴史が詰まっている。

目次

「馬関」は下関の古い呼び名

下関は、かつて「赤間関(あかまがせき)」という名前で呼ばれていた。関門海峡を挟んで九州と本州を結ぶこの土地は、古くから交通の要衝として栄えており、その名残として「赤間関」という地名が使われていたのだ。

やがてこの「赤間関」は「赤馬関(あかばかん)」とも表記されるようになり、さらにそれが省略されて「馬関(ばかん)」という呼び方が定着した。今の私たちが何気なく口にする「馬関街」という言葉には、こうした何百年もの歴史の積み重ねが隠されている。

唐戸という土地そのものの歴史

唐戸周辺は、古代から交通の要として栄えてきた場所だ。明治時代に入ると海外貿易の拠点として大きく発展し、各国の領事館や外国商社の代理店、銀行などが軒を連ねる国際色豊かな街並みが形づくられていったという。

現在の唐戸町という土地自体も、実は自然にできあがったものではない。1894年から1896年(明治27〜29年)にかけて行われた唐戸湾(田中川河口)の埋立て工事によって生まれた、比較的新しい土地なのだ。港湾機能の強化という当時の国家的な目的のもとで整備されたこの土地に、後の唐戂市場が誕生することになる。

「馬関」から「唐戸市場」へ

人が集まる場所には自然と物が集まってくる。1909年(明治42年)には唐戸の路上での野菜・果物の販売が公許され、1924年(大正13年)には阿弥陀寺町から魚市場が移転し「唐戸魚市場」が発足した。1933年(昭和8年)には現在の唐戸市場の基となる「魚菜市場」が開場し、以後、食料品小売センターの開業や朝市のスタートなど、幾度もの変遷を経て今の姿へとたどり着いている。

つまり、「馬関」という古い呼び名を冠したイベントが今も市場の名物として親しまれているのは、この土地が背負ってきた長い歴史への敬意でもあるのだろう。単なるイベント名として消費するにはもったいない、下関という街のアイデンティティそのものがそこには込められている。

地元の言葉を知ると旅がもっと面白くなる

観光で訪れる土地の地名や呼び名の由来を知っておくと、同じ景色でも見え方が変わってくる。ただ「賑わっているな」と感じるだけの屋台街が、「ああ、これが赤間関から続く馬関の文化なのか」という視点で見えてくると、旅の記憶に厚みが増す。

唐戸市場を訪れる際は、ぜひ「馬関」という言葉に込められた歴史にも思いを馳せてみてほしい。地元で長く商いを続けてきた店の人々に話を聞けば、こうした土地の歴史をさらに詳しく教えてくれることもあるだろう。

下関の食文化とあわせて楽しむ

下関には、こうした古い歴史を持つ言葉や食文化が数多く残っている。フグを「ふく」と呼ぶ地元の慣習もそのひとつだ。唐戸市場で歴史に触れた後は、山の田エリアにある広島お好み焼き 弘々家(こうこうや)のように、地元に長く根づいた飲食店で下関の「今」を味わうのもおすすめだ。1993年の創業から地域に育てていただいてきたこの店では、一枚一枚丁寧に焼き上げるお好み焼きを通じて、地元の人も観光の人も分け隔てなく迎え入れている。

古い呼び名が残る市場と、地元で愛され続ける鉄板焼きの店。どちらも、下関という街が積み重ねてきた時間の厚みを感じさせてくれる存在だ。

まとめ

「馬関街」というひとつの言葉から、下関の歴史がこれほど深く広がっているとは、なかなか気づきにくいものだ。次回、唐戸市場を訪れる機会があれば、賑やかな屋台の向こうにある「馬関」という言葉の重みを、少しだけ意識してみてほしい。きっと、いつもの下関観光がもう一段階豊かなものになるはずだ。


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※唐戸市場からのアクセスも良い、山の田エリアの弘々家(こうこうや)へのご予約はお電話またはLINE公式アカウントからどうぞ。

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