下関観光の1日を、巌流島からスタートする――そんな旅の組み立て方があります。関門海峡に浮かぶこの小さな島には、宮本武蔵と佐々木小次郎という二人の剣豪が決闘したと伝わる物語が今も息づいています。今回は、下関市山の田で32年、鉄板の前に立ち続けてきた弘々家が、巌流島を起点にした下関観光の楽しみ方をご紹介します。
二人の剣豪、その生涯
宮本武蔵は、江戸時代初期に活躍した剣術家です。生涯に数多くの決闘を重ね、一度も敗れなかったと伝わる伝説的な存在で、のちに二刀を用いる兵法「二天一流」を確立しました。剣の道だけでなく水墨画や書などの芸術面でも高い評価を受け、晩年にまとめたとされる兵法書「五輪書」は、現在でも剣術や人生哲学の書として広く読まれています。
一方の佐々木小次郎は、諸国を修行してまわったのち、小倉藩・細川家に仕えていた剣術家です。「物干し竿」と呼ばれるほどの長い刀を用いた剣術で知られ、燕が飛ぶ姿を見て編み出したという「燕返し」の技を得意としたと語り継がれています。すでに剣術指南役として名を馳せていた小次郎に対し、武蔵が試合を申し込んだことが、すべての始まりでした。
決闘の物語
慶長17年(1612)、二人が向かい合ったとされるのが、当時「船島」と呼ばれていたこの島です。伝えられるところによると、約束の時刻に遅れて島に到着した武蔵に、待ちくたびれた小次郎が「遅いぞ、武蔵。臆したか」と声を荒げ、長刀の鞘を投げ捨てたといいます。これに対し武蔵は「小次郎、敗れたり。勝つ者が、なぜ鞘を捨てるのか」と切り返し、船の櫓を削って作った木刀の一撃で小次郎を打ち倒した――というのが、もっとも広く知られている決闘の顛末です。
もっとも、この逸話がどこまで史実に忠実かは、実はよくわかっていません。武蔵の養子がまとめたとされる記録と、決闘の立会人を務めたとされる家に伝わる記録とでは、細部が大きく異なっているためです。何が真実で何が創作なのか、その曖昧さこそが、400年以上経った今もこの島が人々を惹きつけてやまない理由なのかもしれません。
島内の見どころを歩く
現在の巌流島には、決闘の舞台となった砂浜を再現した人工海浜や、対峙する「武蔵・小次郎像」、決闘の様子を描いた文学碑などが整備されています。散策道を歩きながら、関門海峡を行き交う船を眺め、400年前の物語に思いを馳せる――そんな静かな時間を過ごせるのが、この島の最大の魅力です。
巌流島を起点にした観光プラン
巌流島を出発点に、唐戸市場での買い物や食べ歩き、壇ノ浦古戦場跡や赤間神宮での歴史散策へと足を延ばすのが、下関観光の定番の流れです。関門海峡沿いには見どころが集まっているため、巌流島訪問を1日の最初に組み込むことで、その後の観光もスムーズにつながっていきます。
旅の締めくくりに
歴史散策で歩いた1日の締めくくりには、山の田の弘々家で、パリパリ麺の広島お好み焼きをどうぞ。7,000回もの試行錯誤の末に生まれたこの麺は、下関の郷土食「瓦そば」からヒントを得て開発されたもので、店長が一枚一枚丁寧に焼き上げています。歴史の物語に触れたあとの一皿は、旅の記憶をより深く刻んでくれるはずです。
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