「巌流島」という名前は誰もが一度は耳にしたことがあるはずです。けれど、実際にどこにあって、どんな島なのかを詳しく知っている方は、意外と少ないのではないでしょうか。今回は、下関市山の田で32年にわたり鉄板の前に立ち続けてきた弘々家が、地元の一店として、巌流島という島そのものについて、じっくりとご紹介します。
巌流島の場所と大きさ
巌流島は、山口県下関市と福岡県北九州市の間に広がる関門海峡に浮かぶ、小さな島です。行政上の住所は下関市彦島字船島。島の周囲はおよそ1.6kmで、歩いて一周してもそれほど時間はかかりません。現在は無人島ですが、決して寂れた場所ではなく、海上公園として整備が行き届いた、誰でも気軽に訪れられる観光スポットになっています。
北端に小高い丘があるほかはおおむね平坦な地形で、明治期以降に何度か埋め立てが行われた結果、当初よりも面積が大きく広がったと伝えられています。関門海峡という、本州と九州を隔てる交通の要衝のちょうど真ん中に位置していることも、この島の特別さを物語っています。
なぜ「巌流島」と呼ばれるのか
地図や公式な住所表記では、この島は「船島(ふなしま)」という名前で記載されています。しかし実際にこの名前で島を呼ぶ人はほとんどいません。多くの人が口にするのは「巌流島」という呼び名です。
その理由は、この島で命を落としたと伝わる剣士・佐々木小次郎にあります。小次郎が名乗っていた流派は「巌流」。決闘に敗れた小次郎を偲び、地元の人々が彼の流派の名前をとって、この島を「巌流島」と呼ぶようになったと言われています。勝者である宮本武蔵の名ではなく、あえて敗れた者の名を島の呼び名として残す――そこには、地元の人々の弔いの気持ちが込められていたのかもしれません。
島内の見どころ
現在の巌流島には、決闘の物語を今に伝えるさまざまなモニュメントが整備されています。決闘の舞台となった砂浜を再現した人工海浜には、武蔵が渡ったとされる小舟も再現されており、当時の情景を思い描きながら歩くことができます。
海峡を背にして対峙する「武蔵・小次郎像」は、島のシンボル的な存在です。小次郎像は2002年、武蔵像は2003年に建立されたもので、今にも動き出しそうな二人の姿を間近で見ることができます。島の入口には、舟島神社と呼ばれる小さな神社もあり、彦島八幡宮が鎮守として見守っています。散策道も整備されているため、関門海峡を行き交う船を眺めながら、ゆったりと島内を巡ることができます。
アクセスと下関観光との組み合わせ
巌流島へは、下関の唐戸桟橋から連絡船でおよそ10分。唐戸市場のすぐそばから出航するため、下関観光の中に自然に組み込みやすいのが魅力です。JR下関駅からはバスでおよそ7分、「唐戸」バス停で下車すればすぐの距離です。
唐戸エリアには、唐戸市場や赤間神宮、壇ノ浦古戦場跡など、下関を代表する観光スポットが集まっています。巌流島での史跡散策を1日の観光プランの一部として組み込み、周辺の名所とあわせて巡るのが下関観光の定番の楽しみ方です。
決闘の真相は諸説あり
巌流島の名の由来となった決闘そのものについては、実は詳しい記録が少なく、今も謎に包まれた部分が多くあります。武蔵が遅刻してきて小次郎を苛立たせたという有名なエピソードも、後世の創作が加わっている可能性が指摘されています。決闘の詳しい内容については、別の記事でじっくりとご紹介していますので、あわせてご覧いただければと思います。
はじめて巌流島のことを知る方にとって、この島が持つ歴史の重みと、気軽に訪れられる観光地としての顔、その両方を知っていただけたら幸いです。
弘々家では、下関観光の思い出づくりに、パリパリ麺の広島お好み焼きをご用意してお待ちしております。巌流島散策のあとは、ぜひ山の田まで足をお運びください。
ホームページ:https://koukouya-shimonoseki.com/ メニュー:https://koukouya-shimonoseki.com/メニュー/ アクセス・営業時間:https://koukouya-shimonoseki.com/アクセス・営業時間/
====================================================================

コメント